栃木県護国神社の境内


「英霊顕彰碑」山砲第三十三聯隊第四中隊



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戦友の霊に
国破れて山河あり 先の大戦が終結し五十年の星霜は緑の大地は蘇らせることはできたが異境に眠る御英霊への思いは愈々つのるばかりである 時の流れと共に戦争の悪夢は次第に風化されたとは言え 戦争体験者にとっては脳裏に焼き付いた心の痛みは永遠に消えることはない  懐古すれば 長い歴史と伝統を誇る我が国は 千古の昔から瑞穂の国を標榜する住みよい国である 然るに昭和の時代に至るや俄に世界の風雲急を告げ 世界諸国連合は我が国に経済封鎖の包囲網を繞らし強圧したるも大和民族は断じてこれに屈せず国家の存亡を賭けて総決起し 万止むなく大東亜戦争開戦の悲運となる この時代に生を享けた我等青年は 青春の全てを捧げ国難に立ち向かうべく 従容として戦地に赴き 幾多の戦線に従軍する かくして緒戦を飾ることはできたが 凄惨苛烈な死闘に国力の差を乗り越え幾百万の同朋は尊くも?牲という人類最悪の悲劇を蒙り終戦を迎える結果となる。思えば 今なを戦友の多くは 中国の広野に万里異境のビルマの地で そして白骨街道のインパール(印度領)の果てに無念の涙を流し 当地の守護神と化して山野に眠っている 九死に一生を得た私共は 祖国再建と平和国家実現に最善を尽すことが亡き戦友への供養であろうと確信し その道を歩み続ける 今や日本は苦難の道を乗り越え 戦争を放棄し 自由と平等の下教育文化は言うに及ばず経済大国として世界に誇示する迄に至る これぞ まさしく悠久の大義に殉じられ、平和の礎となられた御英霊の賜である この時に及んで中隊戦没勇士の御尊名を深く刻み ここに顕彰の碑を建立し その偉業を声を大にして子子孫孫に伝えんことを我等一同お誓いするものである

   平成八年(一九九六)五月十六日

       復員五十周年記念日建立
       弓山砲山四会生存者一同






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栃木県護国神社